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 毎日の学習習慣付け***その2

「毎日の学習習慣付け」という記事にコメントを頂きました。

ごめんなさいね。なんだか少し違和感を覚える 
のは私だけかしら?

抹茶母さんのおっしゃる事、素敵な事だとは思います。

うちでは、何か継続して行う事を(プリントもしていますが

それだけをさしているのではありません)わりと重要視しているからかもしれません。 

泣いてもわめいてもするか否か、、。 

当然、しないでしょう。

そうなるのは、与える側の誤りに 
よってそうなるからです。

先取りする必要はないと言いますが、小学校から始める

事を幼児期にするのがその子にとって適当な時期であれば 

別に先取りでも何でもないと考えています。

しかし、自分の考え一つで将来病気になるかも知れぬとなれば大変な事です。



毎日に継続は幼児 
からでは早すぎるのでしょうか。

それならばいつ頃が適当なのでしょうか。 

少し整理されぬままコメントしてしまったので 

不快に感じるかもしれませんが、お許しくださいね。

しかし他の方のお考えももしかしたら聞けるのかなと

思いコメントさせていただきました。


長くなりそうだったので、コメント欄ではなく記事でお返事しますね。

まず、「小学校から始める事を幼児期にするのがその子にとって適当な時期であれば
別に先取りでも何でもない」というのは、私も同意見です。
実際、ギフテッドチャイルドは一般的な子よりも早く深く学ぶと聞きます。
そうした子の場合は、むしろ先取り教育が自然です。
ギフテッドまでいかずとも、子どもの発達や興味に合わせて教育的環境を
整えてこられたご家庭では、結果的に先取り教育をしてしまうだろうとも思います。
そういう意味では「子どもの発達に合わせた結果的な先取り教育」は
昨今当たり前なのかもしれません。

けれども、私は「子どもの発達に合わせた結果的な先取り教育」と「毎日の学習習慣付け」
は別物だと考えています。
本当の学習習慣というのは、「もうすぐ小学校に行くからお勉強する!」、
「最近勉強が難しくなってきたからまじめにやらなきゃ」等、子どもの内的感情があって
はじめて身に付くものだと捉えているからです。
そうした子どもの内的感情が育つ前に、親や指導者という絶対的な立場から義務化させてしまうと
学習目的がおぼろになってしまうような気がしています。
幼児はまだ目的を持って先を見通すことが出来ないため、「やれと言われたからやっている状態」
になりかねない…という懸念があるのです。

もちろん、yuntayunさんのお子さん、コモちゃんがそうなる…ということではありません。
コモちゃんは抹茶とは比べ物にならないくらい賢い利発なお子さんですから、
既に毎日の学習に対し、意味付けが出来ているのでしょう。
ユングの性格論を持ち出して話をするなら、コモちゃんは感覚型で、
毎日の学習をコツコツとストレスなくこなす事が出来るタイプなのかもしれません。
そうしたお子さんでしたら、毎日の学習習慣付けが鬱病を生む可能性云々~はないと思います。

ただ、抹茶に関して言うのであれば、彼女はまだ毎日の学習に対する意味付けを内的感情として
持っていないため、コモちゃんのように学習習慣を付けるには時期尚早なのです。
一般的には、抹茶のようにまだまだ学習への意識も薄い子が普通でしょうから、
そうした子へのプリント学習習慣は慎重にするべき…ということです。

児童心理学者のピアジェも思考発達段階説で、
「具体的操作期(7~12歳)になると、可逆的操作も行えるようになり、
自己中心性も脱し、他者との相互作用の中での思考が可能になる」
と述べています。
ピアジェに対する批判はここでは置いておくとして、私は”7歳から学齢期”という
現行のシステムはなかなか良く出来ているな~と感じるのです。
シュタイナーも「7歳までは夢の中」と言っていますよね。
多くの科学者達も「幼児期は五感を使った自主的な遊びこそが学び」と言っています。

そうしたことを踏まえると、「いつ頃が適当なのでしょうか」という問いには
「一般的な発達の子ども達には7歳(就学時)から習慣付けを開始して、
12歳まで(中学受験する場合は9歳)に習慣付けが完成していれば適当なのではないか」
というのが、私なりの返答です。




虹色教室通信でもなおみ先生は「脳への容量自体を大きくするということ」
「脳への容量自体を大きくするということ 2」という記事の中でこう書かれていますよね。

つまり脳そのものの機能を育てている時期には、
皮膚から、視覚から、身体全体から情報を取り込み、
さまざまな視点で物が考えられるように育っていかなければ
ならないはずです。

(中略)

最近の幼児教育は、親が自分の頭でイメージできる枠内で子どもを賢くしようとするあまり、
わざわざこの能力が低い人工知能に対するような接し方ばかりしているように感じます。

情報をわざわざ「プリントに印刷して」小さくして、繰り返しインプットしていくという……
まるでプログラミングでもしている感覚で子どもに教育しようとしているからです。


私も同じ想いです。
幼児期は五感を使って情報を取り込むべき時期で、
それは毎日のプリント学習にも勝る経験だと思っています。
抹茶はLDを抱えていますから、お勉強のようなことをさせたいなら、
なおさらプリント学習よりも五感を使う学習法が合うのです。
そのため、算数クイズやハイタッチ算数、ホワイトボードを使った言葉遊びなど、
日常のふとした時間に遊びとして触れさせています。

…まぁ、その遊びのような学習すら抹茶次第なので、悠長この上ないのですが、
結局のところ、抹茶は自分の得意分野でしか仕事に就けないと思うのですよ。
そのためには、他のお子さん以上に、幼児期は本人の好きなことを十二分に
感じてほしいな~という気持ちが私の中にあります。
何かを作る事が好きなら、テーマは何なのか、作品は平面なのか立体なのか、
具体物なのか映像なのか、色彩にはこだわるのかこだわらないのか…
そうしたことを漠然とでも感じられる時間は、抹茶にとってプリント学習よりも
多くの学びをもたらすような気がしています。

私も子どもの頃は長い間自分の好きなことをして暮らしていました。
幼稚園時代なんて登園拒否児ですから(笑)、随分長い時間自分の「好き」を
眺めていた感があります。
そして、結果的にその「好き」を仕事にしたので、子どもが自分自身と向き合う時間は
1分でも1秒でも長くしてあげたい…と思うのです。

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10:21 | 教育方針
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 毎日の学習習慣付け

近頃、毎日の学習習慣付けの低年齢化が進んでいるな~と感じています。
公文式に通うお子さんは、2~3歳から毎日1教科5枚以上のプリントをこなすそうです。
話題のヨコミネ式横峯園長も、年少さんからは甘やかし厳禁、毎日の学習習慣付けが
大事!と力説されています。

毎日の学習習慣付け。
もちろん、子ども自ら「やりたいやりたい!」と言い、毎日続くのであれば素晴らしいのですが、
そこは当然幼児なので、時には反抗したり、泣いてぐずることもあるでしょう。
そんな時どうするのか。
これは各家庭の価値観が問われる難しい問題ですよね。

世の中、「泣こうが喚こうが、毎日の決められた学習は粛々とこなすべし」
と提唱している方もいますが、なかなかそこまで徹底させることは難しい…
とお思いの方が多いのではないでしょうか。
私も、泣いている幼児に強制させてまで学習を強いらなくても…と思っています。

「やりたくない~」とぐずるその理由は必ずあるはずです。
ただ単に疲れているのか、園で嫌なことがあったのか、他にやりたいことがあるのか、
代わり映えのしない反復学習に飽きたのか…。
その理由をすっ飛ばして、”毎日のルーチンワークとして”プリント学習を強要することは
あってはならない…と、個人的には感じます。

疲れているなら、明日やる。
園で嫌なことがあったなら、勉強の前にまずゆっくりと話を聞く。
他にどうしてもやりたいことがあるなら、それからやる。
教材の内容が嫌なら、他の教材を探す。

甘いのかな~とも思いますが、そもそも私は、なぜ親や教師が考えた学習メニューを
重要視するのか、よくわかりません。
子どものことを思い、よく考えた学習メニューであっても、本当にその子に必要な学びとは
子ども自身が一番よくわかっていて、自ら掴んでいくのではないか?と思うからです。
そこを「親(教師)の言うことを黙って聞いていれば間違いがないから」とばかりに
絶対的な立場から強要すると、思春期以降に問題が大きくなるような気がしています。

疲れている時に「疲れた」と言い、さぼるのもまた一種の学びです。
鬱病にならないための学びです。

私だって面倒なときは「今日の夕飯はチャーハンだけ~」という時もあります。
もっとヒドイ時は出前です。(しかも、洗い物すら億劫なので、ピザ!)
大の大人だってたまにはさぼりたくなるのですから、子どもだって
たまにプリントやワークをさぼっても、良いのではないでしょうか。
社会人だってたまに仕事を休んだところでクビになりゃしません。
ここぞ、という時にがむしゃらにやればいい話です。

その緩急を付けられるか否か?というのは、鬱病になるか否か?という、
現代の深刻な問題でもあるのですから、あまりキツキツでなくとも
良いのでは~と思うのですよ…。

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08:36 | 教育方針
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 毎日の学習時間と教材を教えてください

ご質問を頂きました。

よかったら、毎日の学習時間と教材を教えてください。
算数王やなぞぺ~、こぐま会の教材、サンリオのなかよしぶっくでしょうか?
トップクラス問題集は活用されていますか?




ご質問頂いてから、『あ~、そういえばこんな記事↓を書いていたっけなぁ…』
と思い出しました。

4歳からのワーク               
4歳からのワーク***訂正      
4歳からのワーク***その2 
右脳力・左脳力をひきだす子どものためのIQドリル    
ひとりでとっくん365日         

さて、近頃、ワークに関する記事を書いていないので、
薄々感づいていらっしゃる方もいるかもしれませんが、抹茶に「毎日の学習時間」
はありません。(つまりは0時間)

そもそも毎日の学習なんて敷居が高く、学習日は月に二回がせいぜい…
といったところです。
3歳の時に気に入っていたサンリオのワークも、4歳になるとそれほど興味が
そそられないのか、やりたがらなくなり、ますますワークからは離れていきました。
トップクラス問題集なんて推して知るべし、でございます。
これだけ偉そうに教材(しかも難易度高め)についての記事を書いておきながら、
この一年、活用したのかと言われれば否なので、お恥ずかしい限りですね…。

でも、最近は私も良い感じで力が抜けてきたかな~とも思うのです。
当時の私は、まだ抹茶がLDだと気付いていませんでしたから、
週に一度くらいは学習時間を取ろうと気張っていたのかもしれませんね。
その後(去年秋頃)、言語性LD予備軍と診断を受けてからは、
ますます”紙媒体の学習”にはこだわらなくなっていきました。
今はまだ、本人がやりたい!と言った遊びの中で、学びに繋げられるよう
フォローするのが最善だと感じています。

数の感覚を意識させるなら食べ物や算数クイズで。
図形の感覚を育むなら積み木やパズル、工作で。
語彙を増やすならおままごとや絵本の読み期かせで。
読み書きなら言葉遊びやお買い物メモを書いてもらうことで。

定型発達で5歳なら、上記のような生活密着型の学びをした上で、
ワークやプリントに移行できるのかもしれませんが、
LDの子は学習習慣が付き辛いと言われています。
その個人内差(発達の凸凹)から、コツコツ日々の学習メニューをこなしたり、
バランス良く課題をこなしていく…といったことが苦手なのです。
抹茶も同様に、一般的なワークやプリントでは、一日10分程度の学習すら、
「今は、●●がやりたいの!」と断固拒否するのがオチでしょう。

たしかに、それを強制的に躾けることも可能と言えば可能です。
とはいえ、学習に対する本人の意識が育っていないのに無理強いさせると、
学習そのものに嫌なイメージが付いてしまいかねません。
小学校へ入学する頃になれば、少しは本人の意識も育っているでしょうから、
毎日の学習習慣付けを意識した方が良いかな~とも思いますが、
今はまだ「好きなことを好きなだけどうぞ」という方針です。

アルプス一万尺を早く完璧にやる自主練。
卒園式で歌う『思い出のアルバム』の自主練。
キム・ヨナ選手のボンドガールの真似っこ。

毎日毎日こんなことをする時間があるなら、その時間勉強させれば良いんですけどね…
まぁ、これも一興かと。(笑)

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17:13 | 教育方針
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 見つめるナベは煮えないということ

虹色教室通信「光についてのあれこれ」という記事を紹介して頂いたので、
もう少し”土着モデル”と、私の考えを書いてみますね。

「子どもの脳が学ぶとき」(戸塚滝登著)では、土着モデルについてこのように
書いてありました。

自然現象に対する子どもたちの奇妙な説明を、科学教育では
『土着のモデル』とか『素朴理論』と読んでいます。
科学的に見ると誤った理論です。
その名のごとく、素朴理論とは子どもたちが日頃の遊びや暮らしの中で
いつの間にか身に付けてしまった原始的で直観的な考えです。
まるで”ほくろ”みたいに、子ども脳に偶然形成されてしまった知識です。
ところが困ったことには、これが理科授業にとっては障害になり、
”深い谷底”と化します。
なぜなら、授業や実験でいくら教えようとも、この誤った土着のモデルは
そう易々と修正されないからです。

個人的に(あくまで個人的に)私は”土着モデル”を愛していますが、
理科教育の障害にもなる、一種の”諸刃の剣”なのですね。
”土着モデル”が根付いていると科学はなかなか割り込めないので、
最初から正しい知識を与えてしまった方が、ずっと効率的ではあるのです。

ただ、その”効率的”という言葉もまた諸刃の剣で、あまりに効率性を優先させると
思考する機会を奪いかねない。
このことについては、なおみ先生が記事にされているので、私は特別触れませんが、
知識を得るという行為はえてして思考する行為よりも楽なので、子どもが一旦
それを知ってしまうと、楽な方向へ傾いてしまうのではないか?と感じています。

もちろん、記事に登場するSHO君のように、思考するツールとして知識を活用
できるお子さんもいるので、一概には言えません。
結局のところは、なおみ先生も記事で書かれている通り、「子どもが独自に
自分のペースで、「自分」を作り上げていく余白を与えることができる」
か否かが鍵になってくるのだと思います。

抹茶の場合について言えば、あの子は知識をシャワーのように浴びせられても
嫌がるだけなので、広い余白を取ろうと思っています。
…というより、言語面に弱さを持っている子なので、取らざるを得ないというのが
本音でしょうか。(苦笑)
そのため、抹茶は同年代の子に比べると、あまり物を知らないのですが、
その分”あれこれ(半ば強引に)関連づけること”は好きなんだな~と感じています。

以前、「”げんばく”って、何?」と聞かれた際、『ピカドンたけやぶ』という絵本が
偶然家にあったので、それを読み聞かせたことがあるのですが、その時もやはり
自分の経験をすくいあげ、「『ヴァレンカの小さい家』と同じだね…」
と呟いていました。
それは『ヴァレンカの小さい家』で知った細かな知識ではなく、抹茶の感情に訴えた
不安感がおぼろげな知識となっていたのでしょう。
なんとなくその様子がわかったので、あえてリアルな説明は避け、それでおしまいに
したのですが、何か感じ入るものがあったのでしょうか。
後日、テレビで原爆ドームの映像を偶然目にすると、「今ヒロシマって言ったよね。
ここ、『ピカドンやけやぶ』と同じ場所?」と聞いてきたので、知識の点と点が
繋がってきた印象を受けました。

また、先日はミロのヴィーナスがプリントされた土産物のマグカップを見て、
「これって、あの、ほら、あれ…海に沈んでた大きい石のお人形と一緒なの?」と
聞いてきました。
最初はピンとこなかった私ですが、「ああ!海のエジプトのこと?」と聞くと、
「うん、そうそれ。海のエジプト展で見たのと似てるよね。腕がないし。
これも海に沈んでいたから腕が取れちゃったの?腕は海にあるの?」とのこと。
…まぁ、答えは違うのですが(笑)、これもまさに経験を元にした推論ですね。

ちなみに、「光のあれこれ」の記事を書いた後はZ会幼児コースのサンプル
『ぺあぜっと』にあった光の実験?もしました。
抹茶が語っていた「あれこれ」と直接関わりはありませんが、とても楽しんでくれ、
翌日には、「太陽があっちにあるから、影はこっちに出来るんだよ。でね、もし
太陽があっちにあると、影はこっちに出来るんだよ。でも、ほら!今は大きいお家の
影の中だから、抹茶とママの影は出来ないの~!」と、登園中に教えてくれました。




私はどちらかというと、知識を系統的・段階的に与えるのではなく、一つの推論から
導きだされた”土着モデル”はそのままにしておき、ポンと別角度から同じテーマを見る
といった形が好きなので、抹茶の土着モデルはしぶとく残り、理科教育の妨げになる
可能性が高いかもしれません。
けれども、抹茶には点と点を自分で結ぶ行為が合っているような気がするので、
私から線を引くようなことはあえてしていません。

贅沢を言うのであれば、(現時点で、真実の可能性が高いといわれる)科学を前にしたときは
まっさらな目で対象に向き合い、愛着のある”土着モデル”にサヨナラできるような
柔軟さを持ち合わせてほしい。
…と望んではいますが(笑)、土着モデルはしぶといそうなので、難しいかもしれませんね~。

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21:01 | 教育方針
comment(6)     trackback(0)

 小学校受験について***その2

この記事は(なんとなく気分で)削除しました。
いづみさん、せっかくコメント頂いたのにすみません!
14:40 | 教育方針
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