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 子どもとテレビ、ビデオの上手な付き合い方

日経Kids+10月号には、巻頭特集の「早期教育VSスロー教育」の他にも
「子どもとテレビ、ビデオの上手な付き合い方」なる特集も組まれていました。
読者566人に聞いた「テレビ、ビデオを見るとき、どんなルールを決めていますか?」
というアンケートでは、以下のような結果が出ています。

●一日に見る時間を決める…113人
●テレビから離れてみる…94人
●食事中にはテレビを見ない…71人
●宿題など、決めたことが終わるまで見ない…57人
●見ていないときは消す…43人


視聴時間のアンケートでは、平日1~2時間がもっとも多く、1時間未満の子どもと合わせると
2人に1人は2時間未満という結果が出たそうです。
休日になると2~3時間がもっとも多く、3~4時間と合わせると約42%という結果に。
休日は朝8~10時に子ども向け番組が集中しており、平日に比べてダラダラと見てしまう
傾向にあるようですね。
こうした結果を受けて、専門家は

『15分たったら消して親子の会話を挟む。1日2時間までを限度に』

と述べていましたが、NHK教育番組ならまだしも、子ども向けアニメや戦隊ものは
30分番組が多いので、『15分たったら消して』という提案は現実的でないのでは…
と感じてしまいました。
せいぜいが「30分たったら消して」かな、と。
ちなみに、抹茶が気に入って見ているこどもちゃれんじEnglishのDVDも25分です。
これを途中で消したら抹茶に怒られる。(笑)

ただ、抹茶は視力がやや弱く、テレビの視聴時間は視力の面から考えても
短いに超したことはないので、我が家では「1日の視聴時間はDVDを含めても30分まで」
と決めています。
30分の内訳は抹茶が自分で決めていて、こどもちゃれんじEnglishのDVDか
朝のNHK教育番組(えいごであそぼ、にほんごであそぼ、ピタゴラスイッチで合計25分)。
土日でも30分です。
抹茶から「見たい見たい」と言ってくることはあまりないので、「1日30分」は
本人にとっても丁度良い時間なのではないかと思っています。

ちなみに、抹茶は今でこそこうして1日30分程テレビを見ていますが、
ずっとノーテレビで過ごしてきました。
ノーテレビから方針転換したのは、年中春頃からです。
切り替えた理由は、特に理由があったわけではなく、ただ単純に
「主人が単身赴任から帰ってきて、テレビをつけるようになったから」と言えます。
私はテレビを全くといっていいほど見ないため、私と二人で生活していたときは
希薄だったテレビの存在が、主人が一度「抹茶の機嫌が悪いから~」と
テレビをつけてしまったことで、その存在感が増してしまったのです。
主人もテレビをつけっぱなしにするような人ではありませんが、やはり影響はあり、
ノーテレビの生活に戻すのが難しくなってしまった…といいますか。

日経Kids+10月号でも、そうした家庭の事情を踏まえ、「全くテレビを見せない」
というのも現実的ではないと、「テレビ、ビデオの見方を変えるポイント」が
紹介されていました。

●見る番組を選んで決める
●テレビ、ビデオを見る時間を決める(1日○時間コース)
●ゲームをする時間を決める
●食事のときは、テレビ、ビデオ、を消す
●ノーテレビ・ノーゲームデー(1日コース)に挑戦
●ノーテレビ・ノーゲームウィーク(1週間コース)に挑戦
●遊びにいくときに、ゲーム機を持っていかない
●友達同士で遊ぶとき、できるだけゲーム機以外で遊ぶ


「言われなくてもわかっとるわい、でもできないんじゃ~」といった叫びが聞こえてきそう
ですが、本当に大切なこととは、テレビ、DVDの視聴時間云々ではないのでしょう。

さすがに見過ぎなのは問題ですが、テレビという媒体を使って、より高度な次元を学ぶことも
可能ですし、そこまでいかずともテレビをきっかけに親子で話し合い、コミュニケーションを
深めていくことができるはずだからです。
問題なのは、テレビに子育てをまかせっぱなしにして親が楽をすることで、
これはDSやWiiなどのゲームでも同じことが言えるかと思います。

我が家の場合も、それほど神経質に「テレビは断固反対!」としているわけではありません。
「1日30分」もそれほど厳密な数字ではなく、良質な番組や映画はOKです。
そうした番組で視野を広げてほしいとも思っているのですが、いかんせん抹茶は見ない。
いえ、見られないのですよ。
私も主人もピクサーのアニメを「小憎らしいほど、良く出来ている作品」だと思っているので、
数本持っているのですが、抹茶は「ミスターインクレディブル」はおろか、「カーズ」すら
「怖い、消して」と言います。
「ぶつかる音が怖い」のだそうです。
え?そう?と無神経で大雑把な母は考えてしまうのですが、ラッタ君と同じく、前世に何か
あるのもしれんのう…と思いを馳せるワタクシ。




あ、話が脱線してしまいました。スミマセン。

マミ~さんのBBSでも取り上げられていましたが、テレビやゲームに関しては
各家庭で色々なルールがあり、価値観も様々です。
一概に何が良くて何が悪いかは言えません。
でも、私個人は、「家庭のルールについて自信を持って答えられるか否か」が
一番大事なことだと感じています。

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10:02 | 教育論
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 早期教育VSスロー教育***久保田式

「日経Kids+10月号」では、今注目を集める「久保田式」を生んだ、
脳科学者の久保田競さんにもインタビュー。
後伸びを生むコツが紹介されています。

<0歳~5歳のうちに脳に働きかけたいこと>

 ●言葉掛け、音楽などの「聴覚」を使う遊び
 ●景色や色など「視覚」を育てる遊び
 ●歩く、走るなどの「運動」を日課に
 ●あいさつ、早寝早起きなどの「生活習慣」

<5歳~10歳のうちに脳に働きかけたいこと>

 ●「気持ち良さ」を感じる習慣を与える
 ●親が手本を示して「まねをさせる」
 ●物事をやり抜く「達成感」を教える
 ●「日課」を一つでも多く習慣化すること

久保田氏は、脳の神経細胞が最も発達するのは、1歳~3歳のころ。
この時期にたくさんの刺激を脳に与えてやることが大切だと言う。
しかし、言葉や計算の練習、英会話など、詰め込み型の早期教育をするのではない。

「刺激といっても、知識を蓄えさせることではなく、まずは脳の機能を呼び起こすことが
先決なのです」(久保田さん)。

1歳までには、名前を呼んで話しかける、身体をなでる、手足を使った遊びを教えるなど、
五感を呼び覚ますことから始める。さらに5歳くらいまでに美しい景色を見せる、
いい音楽を聴かせる、外の自然に触れさせる、運動をさせるなど、子どもが
「面白がる」感覚を通して脳機能を高める経験を積んでいく。

「その時大切なのが、親が手本を見せること。人の行動を見てまねすると、
ミラーニューロンというシステムが前頭連合野と頭頂連合野という脳の領域を働かせる。
新しい行動が身に付きやすくなるうえ、脳の機能も高まります」(久保田さん)。

こうして脳に刺激を与えながら、幼少期に一つでも多くの習慣を身につけておく。

「習慣が面倒だと感じる自我が芽生える前に、早寝早起きやあいさつなどの
簡単な習慣を身につけておく。習慣を習慣だと感じなければ勉強も苦ではなくなる」
(久保田さん)。

脳の機能を呼び起こすのは、3歳までの早期に超したことはないそうだが、かといって
「手遅れになる年齢もない」と久保田さんは力説する。




私は、この「久保田式理論?」を読んで、『あれ?なんだか普通だな…』と感じました。
0歳~5歳のうちに脳に働きかけたいこと、5歳~10歳のうちに脳に働きかけたいこと、
共に、ごく普通のナチュナルな育児ですよね。
そこに奇抜さは無いので、なぜテレビで取り上げられるほど話題になっているのか
不思議だったのです。

そこで私は、その謎?を解くべく「くぼたのうけん」というお教室のHPに行ってみました。

そして…
HPに掲載されているカリキュラムを見て、なぜ話題に上るのかわかるような気がしました。

具体的なカリキュラムの一例(0ヶ月~3ヶ月ごろまで)
~全てお子様の発達段階に合わせて細かくプログラムされております~

 ●お母さんの小指を握らせる
 ●上からゴム等で引っ張りやすいようにおもちゃを吊るし、自分から手を出すことを
  覚える
 ●両手で太鼓を叩く。左右均等に手が使えるようにするため。
  少し慣れてきたら、手首を曲げることを覚えさせるために太鼓のバチを持たせて
  太鼓を叩かせる。バチの重さで手首が曲がる。
 ●イナイイナイバアで待つことを覚えさせる。
  イナイイナイを長くすると自然と足をバタバタさせて意志を伝える。
 ●布の中に赤ちゃんを寝かせてゆっくりゆらし、おろしの繰り返しで寝返りが
  早くできるように促す。
 ●ボールなどを転がして目で追わせる。途中ボールを隠して(注視)同じ場所から
  ボールが出てくるのを目で追う。
  ボール転がしの際は転がしてから到着地点まで全て目で追えるようにさせる。


言い切ってしまうこの力強さは、今の若い人達になかなかないものなので、
それだけでもテレビ的には価値がありますよね。(笑)話題になるのも頷けます。

また、こうしたカリキュラムを親子で取り組むことは、親子のスキンシップを増やす
ことに繋がりますし、スキンシップが悪いわけはないので、支持されるでしょう。
「おばあちゃんの昔の知恵」を脳科学と組み合わせた独自理論も、カヨ子おばあちゃんの
強烈な個性と相まって、不思議な斬新さを醸し出しているような気もしますが…

「くぼたのうけん」に子どもを入れたいかと問われれば、私はNoだな…と思います。
なぜかというと、私個人は、こうしたカリキュラムに乗っ取って育児をすることは、
早い時期から子どもを競争の場に放り込むことになるのではないかと気がかりだからです。
『赤ちゃん本人に競争意識がなくても、親や教師は発達の早い子に自然と気が向いてしまう
ような環境なのではないか…』。そんな疑問が頭をもたげるのです。
もちろん、私は実際にお教室へ見学に行ったわけではありません。
こうしたお教室にお子さんを入れても『他のお子さんなんて全く気にならないわ』という
素敵なお母さんばかりかもしれませんし、そもそもそんな環境ではないかもしれませんが、
やはり意識しやすい場なのはたしかだと思うのです。

そして、そうしたカリキュラム重視の親の意識が、親のカンというものを鈍らせていく
のではないかと感じるのです。

私が好きな臨床心理学者の河合隼雄さんは、著書「こころの子育て」の中で、
質問者のお母さんにこう語っています。

Q 「いまの子育てで気になることといったら何でしょうか」
A 「親としてのカンを磨くのをサボりすぎていることです」


「親としてのカンを磨くのをサボりすぎている」。
この言葉を思い出すと、赤ちゃんからの早期教育をお教室にアウトソーシングすることは、
たとえ赤ちゃんの発達を促すことに繋がったしても、その代償として親のカンが失われる
危険性も孕んでいるのだと感じずにはいられません。

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08:37 | 教育論
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 早期教育VSスロー教育***その2

「早期教育VSスロー教育***その1」で、早期教育派とスロー教育派の意見や経験談を
取り上げてみました。

このブログを読んでくださっている方は、家庭保育園、七田式、公文式、DWE、ORT、
その他お教室など、多かれ少なかれ子どもの教育に関心がある方ですから、
みなさんどちらかというと早期教育派なのかもしれませんね。
私も上記のような「早期教育に分類されるあれこれ」は抹茶にさせてこなかったものの、
幼児教育のブログを書いている時点で、一般的には早期教育派なのでしょう。

早期教育派。

なんだか、もやもやっとする言葉ですね。(笑)
こと日本においては、悪いイメージがつきまとう言葉なので、『早期教育派と呼ばれるのは嫌』
と思われる方も多いのではないでしょうか。
私も無意識のうちに否定したいような気になります。

では、なぜそう感じるのかというと、『世間でよくいう「早期教育」とはズレがあるから』
だと思うのです。

私はこのブログを始めてから、リンクさせて頂いている方や更新履歴に残っている方など、
早期幼児教育をされている方のブログを拝見させて頂く機会が増えました。
そこで感じたのは、詰め込み式で行われる従来の早期教育…教育者からの一方的な
指示による早期教育…ではなく、個々の子どもの発達に合わせた自由な早期幼児教育が
主流になってきているということです。
「日経Kids+10月号」で紹介された早期教育派の意見や経験談の中では
「させる」という親の意識が目につきますが、そうではなく、子ども自ら「したい!」と
いうような早期教育を実践されている方がとても多いのです。
それは、科学実験で理科への関心を高めたり、良質な積み木で幾何の基礎を学んだり、
おままごとで数の感覚を磨いたりといった、昔の育児に近い、素朴な「早期教育」です。
私は、こうした早期教育であるなら、親は子どもに与えるべきだと思っています。

もちろん、「早期教育」の定義が何なのか、それは受け取る人によって違いますが、
「早期教育」と検索したところ、ウィキペディアでは、こう書かれていました。

早期教育とは、子ども本人ではなく保護者や国家などの意向で、一般よりも
年齢を繰り上げて文字や数、外国語、音楽、スポーツなどの教育を開始すること。


この文の中で大事なのは、「子ども本人ではなく」と書かれた部分だと思います。
逆に言えば、「子ども本人が望んでさえいれば」、それは早期教育ではなくなるとも言えます。
昨今「早期教育の弊害」という言葉を頻繁に耳にしますが、こうした場合についていうならば、
結果的に先取り教育をしてしまってもさほど問題はないのでしょう。

ただ、「子ども本人が望めば」という言葉を親の都合の良いように解釈して
「子ども本人が望んでいると思わせる」のは危険ですよね。
幼児期は、勉強が好きと思わせるような刷り込みよりも、子どもが自分の好奇心のままに
動くことの方が重要だと感じています。
そうでなければ、「自分は何に興味を持ち、何に没頭できるのか。そして何に没頭できないのか」
という意識が育ちません。
いつもいつも、だましだまし、自分と対峙しているからです。

「本当の自分を意識する」。
この感覚は強制のない自由な時間だけが育むものです。
そのため、私は抹茶に対し、常に「選択の自由」を与えてきました。
自由なので、お勉強的なワークを日々の課題にしたことはありませんが、
自由な時間を満喫してきたせいか、彼女は先日、「抹茶はね、難しいお勉強がしたいの」
と言い出したのです。
そして、「これ、これをやりたい」と、自分から「算数王」を引っ張りだし、解いていきました。

「算数王」を年中さんが学ぶのは先取り教育ですから、こうした行動を表面上だけ捉えて
「早期教育」と呼べば、たしかにそうかもしれません。
でも、私はこれを「早期教育」だとは捉えていません。
お肉ばかり食べていたら、「たまには魚や野菜を食べたい」と、身体が欲しますよね。
それと同じように、子どもは自分自身の内なる声に従って、「足りないもの」をきちんと
見極めているのだと感じています。

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17:20 | 教育論
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 早期教育VSスロー教育***その1

虹色教室通信で紹介されていた「日経Kids+10月号」を、遅ればせながら購入しました。

「ことばのセンスをのばすコツ」、「さんすうのセンスをのばすコツ」、
「創造的センスとのばすコツ」、それぞれのセンスについて
「5歳までにやっておくべきこと、10歳までにやりたいこと」が紹介されています。
(コツについてはなおみ先生が記事で紹介されているので省略しますね)

記事では4歳~10歳までの子どもを持つ556世帯を対象に、「早期教育派」「スロー教育派」
の代表的意見も掲載されていました。
アンケート結果では、「5歳までが大切!」という早期教育派が33.4%、
「5歳からでも大丈夫!」というスロー教育派が66.6%となり、スロー教育派がリード。

ちなみに「外国語のセンスを養うことについて」の双方の意見や経験は…

<早期教育派>

 ●「耳慣れ」には早い時期が大切
 ●発音能力は3歳までに決まると聞いた
 ●内容ではなく、英語に触れる経験が大切
 ●1歳でDVDを見せたり、音楽を聴かせた

<スロー教育派>

 ●外国語より先に日本語が大切
 ●日本語と英語を同時期に学ぶと混乱するから
 ●英語の好き嫌いを意識させたくないため
 ●将来必要なら覚えるものだから
 ●親が話せないのに習わせても無意味

「さんすうのセンスを養うことについて」の意見や経験は…

<早期教育派>

 ●3歳には数に興味を持ち出すため
 ●数がわかれば日常生活で活用できる
 ●1歳でも積み木や数が好きになる
 ●4歳なら足し算引き算は計算できる

<スロー教育派>

 ●小学校の教育課程に合わせればいい
 ●基礎を一つずつ理解させていく教科なので
 ●早く教える長所がわからない


「運動のセンスを養うことについて」の意見や経験は…

<早期教育派>

 ●0歳からが大事。意識して手足を使わせた
 ●2歳からは抱っこせず、いつも自力で歩かせた
 ●幼児期から腹筋背筋を鍛えさせている
 ●2歳から体操教室に通わせている

<スロー教育派>

 ●外で遊べば運動能力はおのずと身に付く
 ●階段を使うなど、体力をつける方法はある
 ●近所を散歩するなど、動く事が大切

「生活習慣、やる気をつけることについて」の意見や経験は…

<早期教育派>

 ●生後4週間から早寝の週間を付けた
 ●3歳から毎日、テキスト勉強や楽器練習を行わせ、習慣にした
 ●努力が必要なことを、幼少期に親が手本を示した

<スロー教育派>

 ●毎日同じ時間に行う「心がけ」があればいい
 ●声かけを欠かさなければ自然に出来るようになる
 ●自我が芽生えて自分でやる気になるまで待つ
 ●技術を習得することとは別の次元なので長い目で見る

「創造的センスを養うことについて」の意見や経験は…

<早期教育派>

 ●1歳半からリトミックを習わせた
 ●胎教でクラシック音楽を聴かせた
 ●1歳からペンやクレヨンを持たせている
 ●1歳ではさみを使わせ、作品を作らせた

<スロー教育派>

 ●音楽を聴く機会を作れば、親しめるようになる
 ●幼稚園でピアノに挫折。うるさく言わない事が大事
 ●楽器をある程度引くくらいなら小学校からでも間に合う
 ●好きに描かせておけば子どもの創造性は伸びる


長くなったので、次回に続きます。

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05:20 | 教育論
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 ヨコミネ式教育

エチカの鏡で取り上げられたせいか、幼児教育ブログでも「ヨコミネ式教育」
についての記事を目にすることが多くなりました。
私はリアルタイムで番組を観ていなかったのですが、それほど話題になるのなら…と
先日YouTubeでアップされていた動画を観ました。

エチカの鏡では「子どもを伸ばす4つのスイッチ」を紹介。

●子どもは競争したがる
●子どもは真似したがる
●子どもはちょっとだけ難しい事をやりたがる
●子どもは認められたがる


上記をふまえ実践していくと、結果的に色々な事…
逆立ちが出来る、10段の跳び箱が飛べる、絶対音感が身に付く、毎日1時間椅子に座り
読み書き計算をする…等が出来るようになるそうです。
そして、これら能力は「教え込んでいるわけではなく、子ども自らやろうと思うような
環境を用意すれば出来るようになる」と横峯先生はおっしゃっていました。

ちなみに、ヨコミネ式教育法の理念はこちら。

全ての子供が天才である
できることはおもしろい おもしろいから練習する
練習すると上手になる 上手になると楽しい
そして次の段階に行きたくなる
この繰り返しで一流になる
全ては1から始まり 毎日の積み重ねで
10年でだれでも一流になれる


ヨコミネ式は、その目立った成果から誤解を受けやすいようですが、
その本質はごくシンプルなものですね。
結局のところ、朱に交われば赤くなると言いますか、環境が大事ということなのでしょう。
また、そうした環境を用意さえすれば一流?になるというのなら、ヨコミネ式教育が
保護者から人気を集めるのも頷けます。

しかし、私個人はこの番組を観た時、拭いきれない違和感を覚えました。
そして、今日「虹色教室通信」でなおみ先生が、私の違和感をわかりやすく記事に
してくださったので、引用します。

私がこちらのブログでこの問題を取り上げようと思ったのは、
エチカの鏡の横峰式の教育の影響で、子どものやる気は、
子どもの中から生まれるのでなく、
無理やりでも良い行動を取らせて、できるようになったらうれしくて
やる気が出るんだから~
といった、子どもの心に対する鈍感な意見を口にする
親御さんをたびたび目にするようになったからです。

子どもを観察するという言葉が
個性やその子の精神の発達を無視した、大人の都合でどうやって言うことを聞かせようか~
という視点からの観察になっていて、

大人による管理、支配がうまくいっていること=
子どもがよくなっている、成長している

と勘違いする方が増えているのです。


私が感じた違和感…というのは、まさにこのことです。
ヨコミネ式教育では、「子ども自らやる」と詠っていますが、それはあくまで
「大人が望む行動」に他なりません。
多少強引にでも「大人が望む行動をさせ、出来たら褒める事で強化し、
その行動を好きにさせる」。
これは、子どもの意志を大人の都合でコントロールしているような…
「これが好き!」という気持ちさえも、暗にコントロールしているような…
そんな違和感があるのです。

個人的には「大人が望む行動をさせ、出来たら褒める事で強化し、その行動を好きにさせる」
というのは、最低限であるべきだと思っています。
それこそ基本的な躾…早寝早起き朝ご飯、他人に迷惑をかけない、その程度です。
我が家では娘の視力の関係で、テレビやテレビゲーム(DS等)を制限していますが、
それ以外は自由にさせています。
その自由な時間の中で、「これが好き」と娘自身が見つけてきた物を大事にしたいのです。
見つけるまでの、無駄とも思えるぼーっとした時間すら大事にしたい。
算数遊びにしろ何にしろ、その発展であると考えています。




長々と書いてきましたが、こうした思いは、実は私自身の経験からきています。
以前にも「ユングの性格論によせて」で少し記事にしましたが、  
私が通った幼稚園は早期幼児教育に熱心でした。
ヨコミネ式ほどではありませんが、それに近い教育方針の園です。
そのため、勉強を始めとして、体操、音楽など、同年代の子どもと比べれば、
格段に出来るようになります。それは確かです。
しかし、

できることはおもしろい おもしろいから練習する
練習すると上手になる 上手になると楽しい
そして次の段階に行きたくなる


のかと問われれば、私はNOでした。
出来たからといって、全く面白くないのです。
困った事に?他の園児達の前でお手本として跳び箱を披露しても、ちっとも楽しくない。
当時の私は自分が好きな事、興味のある事以外を褒められても「なんで?」という有様で、
褒められれば褒められる程違和感を感じていたのです。
正直なところ、「気持ち悪い」とすら思っていました。

そのため、幼稚園は週に2~3回程度しか行けませんでした。
母は不思議と好きな時に幼稚園を休ませてくれ、また家でも幼稚園のカリキュラムを
フォローすることなど一切なかったので、私は救われたのですが、もしあの時、
家でもきつきつにスケジュールが組まれていたら…と思うとぞっとします。
それほど私にとってこの教育法は合わなかったのです。

そしてこういった一種の「ドロップアウト」は、何も私に限ったことでなく、
私の親しい友人も経験しています。

「勝ったら嬉しいだろう!と押し付ける教師に辟易したことがある。
勝って嬉しいのは(昨日までの)自分自身だよ。対戦相手は私の深淵を教えてくれはしない」


人は、子どもは、画一的ではありません。
教育法に絶対はなく、謙虚であり続けなければなりません。
もちろん、お子さんによってはヨコミネ式教育も合うと思いますが、
全ての子に合うかと問われれば、「それは違う」と己の経験から感じています。

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16:49 | 教育論
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