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 「ユングの性格論」によせて

ユングの性格論を考えているうちに、昔の事を思い出しましたので、
今回は少し私の事をお話しようかと思います。(誰も望んではいないと思いますが…)
幼児教育とは関係のない話ですので、ご注意くださいね。

前回の記事で、私は「内向的直観タイプの感情より」と書きました。
これは、私自身はもとより、主人、仲の良い友人も「そうだね」と頷いていたので
当たらずとも遠からず…だと思っています。

そんな私の幼年時代はどうだったのかというと…
ずばり、幼稚園が大嫌いな登園拒否児。

私の通った幼稚園は、幼児教育に熱心な幼稚園で、勉強、運動、音楽、暗唱…と、
きつきつにカリキュラムが組まれていました。
登園バスの中では、ことわざや詩の暗唱。
園に着いたやいなや、平仮名(拗音なども含む)の暗唱に1~100、100~1、の数唱。
年長になると、これに九九の暗唱も加わります。
当然、知育プリントや国語、算数プリントもやります。

運動会前の鼓笛隊練習やクリスマス発表会では、みな先生に怒られやしないかと
ビクビクしています。なにせ先生が恐いのです。緊張で泣き出してしまう子もいました。
今秋、抹茶が通う保育園の運動会に私の母が来てくれましたが、
年長さんののびのびした…悪く言えば下手な鼓笛隊に対し、
「あなたの通った幼稚園とは雲泥の差…でも、これが本来の姿なのかもしれないわねぇ」
とこぼしたほどです。
とにかく、良く言えば指導熱心、悪く言えば管理し過ぎ、の幼稚園でした。

自分で言うのもおかしいのですが、落ちこぼれていたわけではないのですよ。
暗唱も数唱もプリントも、別に構わないのです。
楽しいと思えなくても、私なりに納得して取り組んでいました。
我慢ならないのは、「大人が勝手に押し付ける楽しさに、乗り続けなくてはならないこと」。
なにより一番嫌だったのは「自由遊びですよ~!」と言っているのに、外へ出されたことです。
私は一人でも教室で絵を描いていたかった。それなのに、教室にいてはダメだという。

『それなら「自由遊び」なんて言わないでよ。「外へ出なさい」って言ってよ』

この台詞を何度飲み込んだ事か。
自由な時間と称して拘束するそのやり方に、幼い私は戸惑い、だんだん幼稚園へ行くのを
渋るようになりました。
とはいっても、素直に「いきたくな~い!」と泣く訳ではなく、「お腹が痛い」だの
「喉が痛い」だのと、思いつく限りの仮病を使っていました。
もちろん母は気付いていたでしょうが、私を理解してくれ、休みたいときに
休ませてくれたのです。
本当にさらりと、自然に休ませてくれました。

このズル休みのゆるやかな時の流れを、今でも鮮明に覚えています。
紙粘土で人形を作っている母の隣で、日がな一日その人形を眺め、絵を描いていた事。
オリジナル小説を書く母の隣で、私も空想に耽っていた事。

私の幼稚園の思い出といえば、合唱際で1回も口を開けず、子どもなりの反抗を試みた…
ということだけなのですが(笑)、ズル休み中母と過ごした時間は、私の根底に
ゆるぎないものを与えてくれました。
父は「幼稚園はまだしも、小学校で登校拒否じゃ困るぞ」と言っていたそうですが、
母はどんと構え、こう言っていたと聞きます。
「多分大丈夫よ、この子は」。

幸いにも、母の予想は的中します。
私は入学早々、先生からの一言を聞き、一人納得していました。
その一言とは、

「学校は勉強するところです」

当たり前ですね!
いえ、当時の私でも知識としては知っていましたが、この時、およそはじめて、
すとんと整理されたのです。

『幼稚園のように、楽しくもないお遊戯を楽しい物として押し付けてこない。
学校は勉強するところ。ここでは、楽しくなくてもやらなくてはいけないんだ。
よかった、これなら理解できる』

こう結論づけたとき、霧が晴れたような気がしました。
もちろん学校だって、楽しさの押し付けはあります。
しかし、その押し付けは幼稚園に比べ圧倒的に少なく、また、あったとしても強制力に
溢れているため、むしろ安堵したのです。

外向型の子どもは、そんなことを気にせず、幼稚園生活をエンジョイできただろうと思いますが、
内向型の私は、この瞬間まで、もやもやとしたものを抱えていました。
霧が晴れたあとの青空は、どこまでも青く澄んでいて、

『ああ、自由なんだ』

とほっとしたことを覚えています。
物理的な面では小学校の方が遥かに不自由なのですが、当時の私は、本気で自由を手にしたと
思っていたのですから、私の意識がいかに外へ向いていないかがわかりますね。
本当に厄介な子どもです。そしてなにより頭が悪い。(笑)

今の私は、娘に対して、「大人が決めた楽しさの押し売りはしない」と決めています。
この当たり前のことを強く感じているのは、まさに私の経験からくるものなので、
あの幼稚園生活もけっして無駄ではなかった…とも思います。
体験は全て血となり肉となる。

…んん?そう考えると、人生という長い道のりにある小石を「危ないから…」と
全てどけてしまうのも考え物ですね。
たまには「楽しさの押し売り」なんてものも、人生のスパイスになるのやもしれません。

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