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 遺伝子***その2

てんてんさんからコメントを頂き、「遺伝子」の記事について、もう一度振り返りました。
遺伝子とはかけ離れてしまう内容ですが、少し補足させてくださいね。

てんてんさんから頂いたコメント(一部抜粋)



おっしゃるように、フタをしてしまいたいような私達親の嫌なところが
子供に見えたとき、なんとかして白にしてあげたいというお節介な気持ちにもなりますが、
挫折や困難を経験して自分で気づいてこそ自分の「白」の部分が白いことを実感し、
「グレー」の部分もひっくるめて自分自身を大切にできるのかもしれませんね。 




前回の記事に書いた「グレーをグレーだと認識し、自分の中にきっとある白を探し出す事」
とは、いってみれば「近道」です。
もし若くして「近道」を見つけられたなら、人生において有利に働くでしょう。
「勘違い」をして遠回りをすると、貴重な時間が過ぎ去っていきます。

極論をいえば、抹茶が「ファッションモデルになりたい!」と決意したところで、
その道はいばらの道なのです。
どう贔屓目に見たところで、いばらの道に変わりありません。
もちろん、容姿に恵まれなくともモデルにはなれますが、その「枠」は圧倒的に少ない。
整形するという裏技?もありますが、整形手術のためにお金を沢山用意しなければならず、
それはそれで大変です。
結局、モデルの他、バレリーナや体操選手など、生まれ持ったスタイル・身体能力を
要する仕事…遺伝子が大きく作用する仕事…にいくら強い憧れを抱いたところで、
無理である可能性が高いのです。

抹茶もその程度の現実は、この先理解していくと思います。

モデル、バレリーナ、体操選手は、抹茶にとって「黒」です。
「黒」を自己の中に見つけるのは、そう難しくありません。
難しいのは、やはり「グレー」。
しかも、「白に近いグレー」です。
私が大学受験に失敗したのは、この「白に近いグレー」を「白」だと勘違いしたことによります。
周囲も「白」だと認めてくれた「白」を、「グレー」だと認めること。
これは、当時の私にはできないことでした。
唯一私の母だけが、「それは白でなく、グレーよ」と助言してくれていたのですが、
当時の私は耳を塞いでいました。
「白」であることに妙な憧れを抱いていた私は、意固地になっていたのです。
いえ、正確にいうと、後戻りするのが怖く、薄々感づいていた「グレー」という現実を
認めたくなかっただけなのかもしれません。

そんな中、受験に失敗したのは、自明の理でした。
前回の記事でも書きましたが、この挫折で実に様々な点がクリアになり、
今では、「合格しなくて良かった」とすら思います。
負け惜しみでもなんでもなく、心底そう思います。
仮に合格していたら、更なる「勘違い」の道へ突き進み、いまだに「グレー」を「白」
だと認識しているかもしれない…と思うからです。
そんな経験からか、私は多くのお母さん方のように「我が子のグレー部分を白にしたい」
とは思いません。
「我が子のグレー部分をクリアにしたい」とは、ついつい考えてしまうのですが…

しかし、よくよく考えてみると、これもおせっかい、過保護ですね。
無意識に「私の二の轍を踏ませないよう」、「近道」を教えてあげたいと願っている証拠…
とも言えます。
「グレーだと認識できず、白へ近づけるため懸命に努力する姿」も、真剣すぎるほど
真剣であるのなら、その行為自体が白なのでしょう。
逆に言えば、そういった「勘違い」が白をより白く輝かせることになるのではないかと
思うのです。
大学受験や就職試験に照準を合わせた場合、「勘違い」は命取りですが、
長い目で人生を見つめるなら、何事にも無駄はありません。
なおみ先生もおっしゃっていましたが、自分の、そして子どもの到達点を「最終学歴」や
「就職先」に決めるのは、安易です。

こうして考えてみると、親が子どもにしてあげられることなんて本当にわずかで、
それは「待つ」という一言に集約されるのかもしれませんね。

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