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 私の子ども時代

虹色教室通信でなおみ先生が書かれた記事、
「親たちのニーズが加害者のあいまいな幼児虐待を生む話」を読みました。
記事の中でなおみ先生は娘さんの幼稚園時代のエピソードを書かれていましたが、
私は『なおみ先生の娘さんの様子が自分の幼児期と重なるなぁ…』と、
ひとりごちてしまいました。

そこで今日は私の幼稚園時代の思い出を書いていきたいと思います。
幼児教育とは直接関係ありませんが、「一般的な大人が望む子どもではない子」の
一例として読んで頂ければ幸いです。

さて、幼稚園といえば、みなさんはどんな教育方針の園を望んでいますか?
一口に幼稚園とはいっても、その教育方針は本当に様々ですよね。
そのため、昨今は「幼稚園選び」という言葉も普通に取りざたされていますが、
私の子ども時代はそれほど幼稚園選びが当たり前な時代ではなかったように思います。
現に私の母は「あなたと仲良しのお友達もみんなあの幼稚園だし、ご近所のお子さんも
みんなそうだから」、「園バスが家の前まで来るから」という理由で、
当たり前のように幼児教育に熱心なM幼稚園を、そうとは知らずに選びました。

実は、母も私自身も、このM幼稚園が幼児教育に熱心な園だということは、
ずっと知りませんでした。
知ったのはつい最近、半年~1年程前でしょうか。
教えてくれたのは、小学校時代から付き合いのある幼なじみ。
彼女の子どもがちょうど幼稚園入園前だったので、自然に幼稚園の話題になったのです。

「そういえば、私は幼稚園が大の苦手だったんだよね」
「●ちゃん、どこの幼稚園だっけ?」
「M幼稚園」
「え、あそこって、すごく教育熱心なんだよ。M幼稚園出身の子は小学校で優等生だって
有名だったし」
「そうなの?」
「知らないの?今でもM幼稚園は熱心だって有名だよ。入るためには検査?もあるし」

後日、母にこの話を聞かせると、「知らなかったわ~。だって、ほら、他の幼稚園を
知らないじゃない?あれが普通だと思っていたのよ」とのんきな返事。
とはいえ、私が幸いだったのは、こうした母の性格だったのでしょう。
私の母は日常の些末な事にこだわらず、あっけらかんとしながらも、物事の裏表や真理、
人の感情、心の機微…といったことに敏感で、子どもに何かを押し付けるといったことが
なかったのです。
「ユングの性格論によせて」でも少し触れましたが、私が幼稚園の合唱祭で1回も口を
開けなかった時ですら、

「みんなが●●合唱団のごとく一生懸命に歌っている中、あなた一人だけが頑として
歌わないでしょう?あの時は面白かった~。お母さん大爆笑だったのよ~」

と、げらげら笑いながら話していました。
今にして思えば、この言葉は当時の私にとって救い以外の何物でもありません。
母は私を責める事なく、「それほどの迷惑をかけているわけではないのだから、
それはそれであり」と私を受容していました。
見方によれば、私の母は随分甘い育児をしていたと言えます。

しかし、当時の私は、なおみ先生の娘さんと同じく、大人びていて内向的で何でも
どこまでも観察しようとする可愛げの無い子ども…という一面があり、
多くの大人が好むような「明るく素直で、ハキハキとした子」
ではなかったので、家庭で受容されなければ行き着く先がなかったのです。

母は続けて言いました。

「いわゆるお勉強的な賢さ…という意味では、お兄ちゃんに軍配が上がると思うけれど、
あなたは人の言葉や表情からその奥に隠されている物を見つけ出すことが得意だった。
そういうことは、本当に幼いときから教えられる事無く自然に出来ていた。
だから何も心配がなかった」

もちろん、母は私に褒める箇所が少ない分、こうした言葉を口にしたのでしょうが、
この言葉から伺える母の価値観は私に安堵感をもたらしてくれました。
母の価値観はゆるぎなく、特別な意識も無しに私という個性が自然と守られていたのです。

そのせいか、私は小学校入学と同時に霧が晴れて、自分から
「よし、小学校では、いっちょ良い子でいきますか!」と、先生から好かれるタイプの
子どもを演じるようになりました。
精神疾患のようで危なっかしいのですが(笑)、不思議と演じる事による違和感や疲れは
なく、自分の言動が他人(先生)に与える影響を意識して、むしろそれを楽しみに暮らして
いたと思います。

とはいえ、この「良い子月間」の遊びも思春期の到来と共に終わりを告げ、
再びもとの私、幼稚園時代の私に帰っていったので、長く続いたはしかのようなものかも
しれません。
私にとっては、「良い子月間」の方がはしかなので、人によっては「良い子が突然なぜ?」
となるのでしょうが、何も「明るく素直で、ハキハキとした子」だけが許容される社会で
なくても良い、と中学生の私は考えていたので、気にしていませんでした。
(完全な中2病とも言えますが)

そして、こんな紆余曲折?の子ども時代も母は口を挟まず、私の好きにさせてくれました。
子どもが自分自身で気付くまで放ったらかしにしてくれました。
そのため、家庭が「羽を休める場所」として、自然に機能していたのでしょう。

…いや、これだけ母のことについて絶賛とも取れる記事を書くと、母は何やらすごい人の
ようですが…彼女はごく普通の専業主婦です。
ちょっとオタク気質があり、古代史も宗教(否信者)も歴史小説もハードボイルド小説も
ハーレクインも同列で楽しめる、何がなんだかよくわからない読書傾向を持ち、
オリジナル小説を書いたりします。
私の趣味は母のそれとは違いますし、母のようになりたいわけでもありません。

ただ、母が醸し出していた「認めている」というあの空気をまとって娘を育てていきたい…
とは感じています。
あの空気は、「出来たから」というご褒美的なものではなく、もっと根本的な空気でした。
ヨコミネ式をはじめ、教育機関が醸す空気が厳しいものであるなら、せめて家庭では
柔らかな温かい空気を醸し出してあげたいと、個人的には思うのです。

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10:38 | 未分類
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 ヨコミネ式教育

エチカの鏡で取り上げられたせいか、幼児教育ブログでも「ヨコミネ式教育」
についての記事を目にすることが多くなりました。
私はリアルタイムで番組を観ていなかったのですが、それほど話題になるのなら…と
先日YouTubeでアップされていた動画を観ました。

エチカの鏡では「子どもを伸ばす4つのスイッチ」を紹介。

●子どもは競争したがる
●子どもは真似したがる
●子どもはちょっとだけ難しい事をやりたがる
●子どもは認められたがる


上記をふまえ実践していくと、結果的に色々な事…
逆立ちが出来る、10段の跳び箱が飛べる、絶対音感が身に付く、毎日1時間椅子に座り
読み書き計算をする…等が出来るようになるそうです。
そして、これら能力は「教え込んでいるわけではなく、子ども自らやろうと思うような
環境を用意すれば出来るようになる」と横峯先生はおっしゃっていました。

ちなみに、ヨコミネ式教育法の理念はこちら。

全ての子供が天才である
できることはおもしろい おもしろいから練習する
練習すると上手になる 上手になると楽しい
そして次の段階に行きたくなる
この繰り返しで一流になる
全ては1から始まり 毎日の積み重ねで
10年でだれでも一流になれる


ヨコミネ式は、その目立った成果から誤解を受けやすいようですが、
その本質はごくシンプルなものですね。
結局のところ、朱に交われば赤くなると言いますか、環境が大事ということなのでしょう。
また、そうした環境を用意さえすれば一流?になるというのなら、ヨコミネ式教育が
保護者から人気を集めるのも頷けます。

しかし、私個人はこの番組を観た時、拭いきれない違和感を覚えました。
そして、今日「虹色教室通信」でなおみ先生が、私の違和感をわかりやすく記事に
してくださったので、引用します。

私がこちらのブログでこの問題を取り上げようと思ったのは、
エチカの鏡の横峰式の教育の影響で、子どものやる気は、
子どもの中から生まれるのでなく、
無理やりでも良い行動を取らせて、できるようになったらうれしくて
やる気が出るんだから~
といった、子どもの心に対する鈍感な意見を口にする
親御さんをたびたび目にするようになったからです。

子どもを観察するという言葉が
個性やその子の精神の発達を無視した、大人の都合でどうやって言うことを聞かせようか~
という視点からの観察になっていて、

大人による管理、支配がうまくいっていること=
子どもがよくなっている、成長している

と勘違いする方が増えているのです。


私が感じた違和感…というのは、まさにこのことです。
ヨコミネ式教育では、「子ども自らやる」と詠っていますが、それはあくまで
「大人が望む行動」に他なりません。
多少強引にでも「大人が望む行動をさせ、出来たら褒める事で強化し、
その行動を好きにさせる」。
これは、子どもの意志を大人の都合でコントロールしているような…
「これが好き!」という気持ちさえも、暗にコントロールしているような…
そんな違和感があるのです。

個人的には「大人が望む行動をさせ、出来たら褒める事で強化し、その行動を好きにさせる」
というのは、最低限であるべきだと思っています。
それこそ基本的な躾…早寝早起き朝ご飯、他人に迷惑をかけない、その程度です。
我が家では娘の視力の関係で、テレビやテレビゲーム(DS等)を制限していますが、
それ以外は自由にさせています。
その自由な時間の中で、「これが好き」と娘自身が見つけてきた物を大事にしたいのです。
見つけるまでの、無駄とも思えるぼーっとした時間すら大事にしたい。
算数遊びにしろ何にしろ、その発展であると考えています。




長々と書いてきましたが、こうした思いは、実は私自身の経験からきています。
以前にも「ユングの性格論によせて」で少し記事にしましたが、  
私が通った幼稚園は早期幼児教育に熱心でした。
ヨコミネ式ほどではありませんが、それに近い教育方針の園です。
そのため、勉強を始めとして、体操、音楽など、同年代の子どもと比べれば、
格段に出来るようになります。それは確かです。
しかし、

できることはおもしろい おもしろいから練習する
練習すると上手になる 上手になると楽しい
そして次の段階に行きたくなる


のかと問われれば、私はNOでした。
出来たからといって、全く面白くないのです。
困った事に?他の園児達の前でお手本として跳び箱を披露しても、ちっとも楽しくない。
当時の私は自分が好きな事、興味のある事以外を褒められても「なんで?」という有様で、
褒められれば褒められる程違和感を感じていたのです。
正直なところ、「気持ち悪い」とすら思っていました。

そのため、幼稚園は週に2~3回程度しか行けませんでした。
母は不思議と好きな時に幼稚園を休ませてくれ、また家でも幼稚園のカリキュラムを
フォローすることなど一切なかったので、私は救われたのですが、もしあの時、
家でもきつきつにスケジュールが組まれていたら…と思うとぞっとします。
それほど私にとってこの教育法は合わなかったのです。

そしてこういった一種の「ドロップアウト」は、何も私に限ったことでなく、
私の親しい友人も経験しています。

「勝ったら嬉しいだろう!と押し付ける教師に辟易したことがある。
勝って嬉しいのは(昨日までの)自分自身だよ。対戦相手は私の深淵を教えてくれはしない」


人は、子どもは、画一的ではありません。
教育法に絶対はなく、謙虚であり続けなければなりません。
もちろん、お子さんによってはヨコミネ式教育も合うと思いますが、
全ての子に合うかと問われれば、「それは違う」と己の経験から感じています。

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16:49 | 教育論
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 クッキー作り

アメリカンクッキーを焼きました。
私はどちらかというと、紅茶に合うような、サクサクほろほろクッキー好きですが、
主人は断然アメリカンクッキー派。
彼はスタバで売っているような、ザクザク大味(失礼)クッキーが理想だというので、
こちらのレシピを基本に作りました。

休日だったので、抹茶も意気揚々とエプロン&三角巾をつけ参加。
計量したり、板チョコを刻んだりしてくれました。

CIMG0583.jpg

クッキー作りの合間には簡単な算数遊び。

「チョコを8個に切ってね。同じ大きさだよ」
「8個?えっと、こうでしょ」

抹茶はこう切っていました。

■■■■
■■■■

そこで「こういう切り方もあるよ~」と言い、薄くスライスして見せると、
「え~、それだと手を切りそうだよ」とのこと。そりゃごもっとも。

こんなレベル低っ!という算数遊びにうつつを抜かしていると、主人がささっと生地を
完成させていました。
アイスクリームサーバーで天板に落とし、オーブンでしばし待つと…
待望の焼き上がりです。

CIMG0585.jpg CIMG0584.jpg

左の写真が、主人希望の「チョコレートチャンク+くるみ+マシュマロ」、
右の写真が私希望の「レーズン+カシューナッツ」。
粉もふるわず、見栄えも気にしなくて良いので、簡単なレシピですが、
個人的には大ヒットです。
沢山焼いたのでお友達にもお裾分けしたのですが、好評でしたよ~。(世辞?)


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08:54 | 日常
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 日食

7月22日は日食でしたね。
私の住む地域では、残念ながらお天気に恵まれませんでしたが、
みなさんのお住まいの地域ではいかがでしたか?

夏休みですので、科学館の観察会などへお出かけになった方も多いかと思いますが、
抹茶は保育園児ゆえ、仮に晴れたとしても観察会には行けません。
そのため、我が家では、最初から「夜にNHKの日食番組を観て、おしまい~」という、
なんとも地味なコース…。
ただ、抹茶は普段テレビ番組を観る事がほとんどないせいか、新鮮だったようで、
それが救いと言えば救いでしょうか。(笑)

テレビが終わると、主人が即興の「太陽と地球の大きさ比較」をしてくれました。

「抹茶、ビーチボールを持っておいで。あと、小さいビーズ」
「何に使うの?」
「見立て遊び」
「?」
「このビーズが地球だとすると、このビーチボールは太陽だということ」
「あ、わかった」
「太陽は地球の約109倍だよ。月は地球の約1/4だから、このビーズよりもっと小さい」
「太陽って、こんなに大きいの?」
「そうだよ。距離も遠いよ。抹茶が持っているビーズが地球だとすると、
ビーチボールの太陽は、そうだな、お向かいの●●さんの家くらい離れているよ」

抹茶が理解していたかどうかはともかく、視覚的に太陽と地球の差を感じられたのでは
ないかと思います。

そして、寝る前の読み聞かせには、自宅にある天体分野の絵本を。

CIMG0600.jpg

「ちきゅう」と、「宇宙のアルバム」です。
この2冊は、天体分野の基礎が幼児でも理解できるように構成されています。
図鑑一歩手前、といった内容ですので、図鑑が苦手な抹茶のような子にも向いているのでは
ないでしょうか。

そういえば、以前抹茶に「ちきゅう」を読み聞かせた数日後、ふと何かの拍子に
じゃんけんをしたのですが…

「最初はグー!じゃんけん…あ!ママ待って。そのままにして」
「え?なに?」
「そのままグーにしてて。ほら、地球だよ~」
「?」

抹茶は自分の拳をぐるぐる回転させながら、私の拳の周りをゆっくり回っていました。
何かと思ったら、抹茶のグーを地球に、私のグーを太陽に見立てて、自転と公転を
表現していたようです。
読み聞かせした時は『それほどでも…』といった様子でしたが、やはり意識の中には
ぼんやりと残っているのですね。

このように、絵本の力も侮れませんが、やはり自分の目で観た本物には敵いません。
次の日食は、2012年5月21日の金環食。
その時は、抹茶と主人と三人で、晴れた空を見上げたいものです。

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07:51 | 理科
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 浜降祭

海の日に、浜降祭へ行ってきました。
浜降祭は、茅ヶ崎市、寒川町にある各神社の氏子達が、その神社の神輿を担ぎながら
一斉に海に入り、海から出た後は再び神社まで神輿を担ぎながら戻っていく、勇壮なお祭りです。

茅ヶ崎市の公式HPはこちら

ニュースや新聞などでは「夏の到来」として報道されることも多い、この浜降祭。
今年は生で観ようと頑張って早起きしたものの、会場に着いたの7時過ぎで、時既に遅し。
残念ながら、神輿は全て海から出た後でしたが、浜に40基余りの神輿が並んだ様は圧巻で、
とても見応えがありました。

CIMG0587.jpg CIMG0588.jpg

昨今珍しい祭り囃子もあり、子ども達が太鼓を叩く姿には惚れ惚れしてしまいます。
(「祭り囃子保存会」もあるようです)

CIMG0586.jpg

私はもっとお祭りを堪能したかったのですが、抹茶にはまだ早いのか既に飽き気味で、
「海に行こう、海~」と連行されてしまいました。
「着替えは持ってきていないから~」という私の言葉を背に、海へと突進する抹茶。
ここまできたら仕方ないので、「足だけ!」という約束をして、しばしの浜遊び。

CIMG0591.jpg

長くなると絶対びしょ濡れになる!と思ったので、浜遊びは短い間でしたが、
それでもキャーキャー波と戯れておりました。

いやはや、まだまだ「海>お祭り」ですね…。
もし来年も来る事があれば、その時は水着持参で行こうと思います。

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07:46 | お出かけ
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