スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告
-    -

 見つめるナベは煮えないということ

虹色教室通信「光についてのあれこれ」という記事を紹介して頂いたので、
もう少し”土着モデル”と、私の考えを書いてみますね。

「子どもの脳が学ぶとき」(戸塚滝登著)では、土着モデルについてこのように
書いてありました。

自然現象に対する子どもたちの奇妙な説明を、科学教育では
『土着のモデル』とか『素朴理論』と読んでいます。
科学的に見ると誤った理論です。
その名のごとく、素朴理論とは子どもたちが日頃の遊びや暮らしの中で
いつの間にか身に付けてしまった原始的で直観的な考えです。
まるで”ほくろ”みたいに、子ども脳に偶然形成されてしまった知識です。
ところが困ったことには、これが理科授業にとっては障害になり、
”深い谷底”と化します。
なぜなら、授業や実験でいくら教えようとも、この誤った土着のモデルは
そう易々と修正されないからです。

個人的に(あくまで個人的に)私は”土着モデル”を愛していますが、
理科教育の障害にもなる、一種の”諸刃の剣”なのですね。
”土着モデル”が根付いていると科学はなかなか割り込めないので、
最初から正しい知識を与えてしまった方が、ずっと効率的ではあるのです。

ただ、その”効率的”という言葉もまた諸刃の剣で、あまりに効率性を優先させると
思考する機会を奪いかねない。
このことについては、なおみ先生が記事にされているので、私は特別触れませんが、
知識を得るという行為はえてして思考する行為よりも楽なので、子どもが一旦
それを知ってしまうと、楽な方向へ傾いてしまうのではないか?と感じています。

もちろん、記事に登場するSHO君のように、思考するツールとして知識を活用
できるお子さんもいるので、一概には言えません。
結局のところは、なおみ先生も記事で書かれている通り、「子どもが独自に
自分のペースで、「自分」を作り上げていく余白を与えることができる」
か否かが鍵になってくるのだと思います。

抹茶の場合について言えば、あの子は知識をシャワーのように浴びせられても
嫌がるだけなので、広い余白を取ろうと思っています。
…というより、言語面に弱さを持っている子なので、取らざるを得ないというのが
本音でしょうか。(苦笑)
そのため、抹茶は同年代の子に比べると、あまり物を知らないのですが、
その分”あれこれ(半ば強引に)関連づけること”は好きなんだな~と感じています。

以前、「”げんばく”って、何?」と聞かれた際、『ピカドンたけやぶ』という絵本が
偶然家にあったので、それを読み聞かせたことがあるのですが、その時もやはり
自分の経験をすくいあげ、「『ヴァレンカの小さい家』と同じだね…」
と呟いていました。
それは『ヴァレンカの小さい家』で知った細かな知識ではなく、抹茶の感情に訴えた
不安感がおぼろげな知識となっていたのでしょう。
なんとなくその様子がわかったので、あえてリアルな説明は避け、それでおしまいに
したのですが、何か感じ入るものがあったのでしょうか。
後日、テレビで原爆ドームの映像を偶然目にすると、「今ヒロシマって言ったよね。
ここ、『ピカドンやけやぶ』と同じ場所?」と聞いてきたので、知識の点と点が
繋がってきた印象を受けました。

また、先日はミロのヴィーナスがプリントされた土産物のマグカップを見て、
「これって、あの、ほら、あれ…海に沈んでた大きい石のお人形と一緒なの?」と
聞いてきました。
最初はピンとこなかった私ですが、「ああ!海のエジプトのこと?」と聞くと、
「うん、そうそれ。海のエジプト展で見たのと似てるよね。腕がないし。
これも海に沈んでいたから腕が取れちゃったの?腕は海にあるの?」とのこと。
…まぁ、答えは違うのですが(笑)、これもまさに経験を元にした推論ですね。

ちなみに、「光のあれこれ」の記事を書いた後はZ会幼児コースのサンプル
『ぺあぜっと』にあった光の実験?もしました。
抹茶が語っていた「あれこれ」と直接関わりはありませんが、とても楽しんでくれ、
翌日には、「太陽があっちにあるから、影はこっちに出来るんだよ。でね、もし
太陽があっちにあると、影はこっちに出来るんだよ。でも、ほら!今は大きいお家の
影の中だから、抹茶とママの影は出来ないの~!」と、登園中に教えてくれました。




私はどちらかというと、知識を系統的・段階的に与えるのではなく、一つの推論から
導きだされた”土着モデル”はそのままにしておき、ポンと別角度から同じテーマを見る
といった形が好きなので、抹茶の土着モデルはしぶとく残り、理科教育の妨げになる
可能性が高いかもしれません。
けれども、抹茶には点と点を自分で結ぶ行為が合っているような気がするので、
私から線を引くようなことはあえてしていません。

贅沢を言うのであれば、(現時点で、真実の可能性が高いといわれる)科学を前にしたときは
まっさらな目で対象に向き合い、愛着のある”土着モデル”にサヨナラできるような
柔軟さを持ち合わせてほしい。
…と望んではいますが(笑)、土着モデルはしぶといそうなので、難しいかもしれませんね~。

にほんブログ村 教育ブログ 幼児教育へ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・(自閉症)へ
21:01 | 教育方針
comment(6)     trackback(0)
comments
土着モデルという言葉でよばれているのですね。勉強になりました。知らなかったけれど、そういう思いつきは面白いので、だいたいはそのままにしている気がします。母親がほうっておいても、他の人や本に、訂正されてしまうこともありますしね(^ ^;)

子どもが点と点を結ぶ瞬間って、いいですよね~。抹茶ちゃんのつぶやきが聞こえてくるようです。うちのも常に「ほかの点」を探している感じなので、とても共感できました。

私も系統立てて知識を与えたいとは全然思わないのですが(しようと思ってもとてもできないし)…子どもはそれなりに整理しながら集めていくんですよね。数え切れない「なんで?」に懸命につきあっていた時もありましたが、適度に保留(余白?)にしておくのも大事なんですよね。今はほとんど、勝手にやってくれ、って感じです(笑)

土着モデルというけれど、先入観にとらわれない子どもの考える力って、逆に真実を見極める力につながるような気がすることもあります。それはそれで、大事ですよね。
2010/02/05 09:40 | | edit posted by まはーる
まはーるさんへ
いつもコメントありがとうございます♪

ホッペちゃんはSHO君のように図鑑や本で知識を吸収し、その知識からまた思考を深めて行ける子だと思うので、おそらく抹茶よりも少なめの余白で大丈夫でしょう!…というより、勝手に進めて行ってくれそうでステキ。

>先入観にとらわれない子どもの考える力って、逆に真実を見極める力につながるような気がすることもあります。

そうですね。今現在”真実”とされている真実は、真実でない可能性も孕んでいるので、子どもが持つ”土着モデル”もあながち捨てた物ではないと思います。先入観や固定概念がない分、よりシンプルに科学を見つめているとも言えますし、他人の意見に惑わされない出発点とも言えるかもしれませんね。
2010/02/05 16:52 | | edit posted by 抹茶母
おぉ、素朴理論のことだったんですね。認知系ではそう呼んでました。ナイーブセオリーの訳語だったような。教育系とはこれまた微妙~な住み分けがあったりするらしい(笑)

素朴理論と自然科学の関係について研究していた先輩がゼミにおりまして、どうやら並存可能な感じも受けましたよ。むしろ科学の入り口としては格好の材料かもしれない。

あくまで個人的感想では、素朴理論が、科学的に正しい知識を思い出すときの入り口の鍵のようになっております、ハイ。
2010/02/06 20:01 | | edit posted by いづみ
いづみさんへ
いつもコメントありがとうございます♪

>科学的に正しい知識を思い出すときの入り口の鍵
そうですね。本来、素朴理論あってこそ前に進めるというのかな。そういう印象はありますね。

>微妙~な住み分け
あるある。(笑)ほんと、微妙な棲み分けというのは、そこかしこにありますよね。
LDの定義も医学的定義と教育的定義では違うんですよ~。
2010/02/08 09:56 | | edit posted by 抹茶母
「子どもの脳が学ぶとき」って、抹茶家の所蔵図書?
もしもう読み終わってたら貸していただけないかしらー。
2010/02/08 19:51 | | edit posted by yoshiko
yoshiko さんへ
> 「子どもの脳が学ぶとき」って、抹茶家の所蔵図書?
> もしもう読み終わってたら貸していただけないかしらー。

マイ蔵書です。
もしよければ、『子どもの脳と仮想世界』と一緒に持っていきますー。
2010/02/09 17:42 | | edit posted by 抹茶母
comment posting














 

trackback URL
http://imac1.blog24.fc2.com/tb.php/326-2c59b10e
trackback
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。