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 言葉の質を高めるということ

言葉の質は日常会話から育っていく。これは紛れも無い事実だと思います。
小学校受験をされる方は、特に気をつけておられるのではないでしょうか。
抹茶は小学校受験をしないので(受からないと思うから!笑)、それほど気を配っている
わけではありませんが、私なりの丁寧さを持って抹茶に接してきたつもりです。

みなさん実践されていることと思いますが、具体例を挙げるとすると、
子どもの「とって~」という言葉には、例えわかっていても「何をとるの?」と返す、など。

また、助詞についてもできるだけ省かないよう話しかけてきました。

「お茶とって~」
「お茶をどうぞ」

「お風呂入る~」
「お風呂に入ろうね」

「お茶をとって、でしょ」「お風呂に入る、だよ」とは言わず、私が返す言葉の中で
さりげなく助詞を入れているだけですが、それなりの効果はあるようで、最近では
「あ、お茶『を』だよね」「うん、お風呂『に』入ろう!」と抹茶自身が気付き、
言い直す場面も見られるようになりました。

他にも「ら抜き言葉(食べれる、など)」や「形容詞+です(ないです、おいしいです、など)」
などの言葉遣いも正しています。
これらの言葉…特に「ないです」「おいしいです」などは、市民権を得てきていると
思いますが、私は言葉遣いに関して比較的保守的です。
TPOに応じてその場のノリで言葉を崩す事に問題は感じませんが、
それは正しい言葉遣いを知っているという前提あってこそだと感じています。

保守的…ということで言えば、先生に対しては私自身が見本となるよう、
「先生から頂いたのね」「先生がそうおっしゃったの?」と、普段から尊敬語・謙譲語を
交えて話しかけてきました。
抹茶の通う園の雰囲気からすると、先生に対するこうした言葉遣いは少々固いのですが、
抹茶には目上の人を敬う心を持って欲しいと思っています。
敬う心さえ持っていれば言葉遣いがどうであれ問題ないではないか、という意見もあるには
ありますが、やはり知っていて損する事はないのですから…。
たま~に、先生に面と向かって「マジで?先生ヤバイよ~」と子どもに話しかけている
保護者を見ると、私などはぎょっとしてしまうのですが、どうなのでしょうか。

ちなみに、語彙については日常生活の中で少しずつ増やしていこうと考えていたので、
3歳頃から少々難しい言葉もあえて使っています。

「目頭に目やにがついているよ」
「襟足あたりの髪が伸びたね」
「眉間にしわが寄っているよ」

抹茶の描いた絵がコメントに困るような作品だと「前衛的だね~」と言い続けてきたせいか、
抹茶は「前衛的でしょう!」と調子づいて言うようにもなりましたよ…。(アホですね)




と、こんな戯れ言を書いてみても、いかんせん抹茶の言語能力は低いままなので、
意味があったのかどうかは正直なところよくわかりません。
ですが、最近抹茶は言葉に対して少しずつ敏感になってきていると感じるのです。

「そういえばさ…『まもなく』って、『まもなく電車が参ります』の『まもなく』?」
「『かけっこ』の『かけ』と、『駆け込み乗車はおやめください』の『かけ」って、同じ?
走るってこと?」

「そういえば」と前置きするのも可笑しければ、どちらも電車にまつわる質問なのも
謎ですが、言葉に対する興味が出てきたのだと好意的に捉えています。
そのせいか、擬音語や擬態語をつける遊びを自分で考えて口ずさむようになりました。

「『ふわふわ』がつくものって何かな…。あ、綿飴!ふわふわの綿飴」
「『つるつる』は…、つるつるのほっぺ!抹茶はつるつるだけど、ママはざらざら~
(>大きなお世話だよ)」

「しかも」「つまり」「それにしても」といった論理的な言葉も知り、
ゆっくりと抹茶なりに成長しているのだと感じています。

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07:38 | 教育方針
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 小学校受験について

CIMG0046.jpg

友人がお子さんの小学校受験のため、一度購入した自宅を売却し、引っ越しました。
旦那さんの出身校である国立小を目指すのだそうです。
「購入する前は気付かなかったのだけれど、道一本挟んで向こう側は良い校区。
こちら側はあんまり…な校区なの。下の子は女の子だし、教育環境は大事だから」。
友人は、こう呟いていました。

小学校受験。
幼児教育のブログを書いていらっしゃる方は、受験準備をされている方も多いかと思いますが、
我が家は考えていませんでした。
しかし、彼女の話を聞き、あらためて小学校受験について、主人と話し合いました。

まず国立小。
主人は「学費もかからないし、いいのでは?」と言っていましたが、私はどう考えても抹茶に
国立小は向いていないと感じます。
はっきり言って、私が試験官でも抹茶はとりません。(笑)
学力云々の前に、国立小が求めるタイプの子…リーダーシップを発揮して、
みなをぐいぐい引っ張っていく、ハキハキとした利発な子ではないからです。
また、抹茶は「YES」を「YES」というまでに時間がかかるタイプなので、
この生来生まれ持ったゆっくりテンポをお受験のために早いテンポへ変える事は、
5~6歳の子どもにとって負荷が大きいと思っています。
通学時間がかかるのもネックですね。

では私立小はどうか。
バス通学、あるいは電車通学になりますが、通える範囲内の学校が何校かあります。
ミッション校、自由な校風の共学校、躾に厳しい女子校など…。
「躾けに厳しい女子校」は、裕福な家庭のお嬢さんがきちんと受験準備をしてのぞむ
難関校ですので、我が家では到底受からないでしょうが、中には全入に近い私立小もあるので、
選り好みしなければ入れてあげられないこともありません。
…とはいえ、「貧乏家庭の家計では、そんな贅沢はさせてあげられないねぇ」という結論に
落ち着きました。




結局そこかよ、というような早い結論で、記事にする必要性もないのですが(笑)、
とりあえずアップしておきます。(ネタがないから!)

私は近所のお友達と地元の公立小に通う良さもたくさんあると思っています。
様々な価値観が交差する環境で、自分の居場所を見つけて欲しいものです。

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20:57 | 教育方針
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 気質に合わせた言葉掛け

CIMG0057 のコピー 

近頃抹茶は「大丈夫、平気。気にしない気にしない」と言います。
この言葉を口にするとき、実は、抹茶の心の中ではそれなりの動揺があります。
でも、「気にしない気にしない」と言います。
これは抹茶にとって、ある意味での強がりです。

先日、私の友人は抹茶の言葉を聞いた時、

「あ、この「大丈夫、平気」って、あなたの影響でしょう?旦那さんじゃないよね。
うん、抹茶ちゃんには、これぐらいで丁度いいかもね、言霊みたいで。」

と指摘しました。さすがに、このTさんはよくわかっているな、と感じました。
実際、私は抹茶に対し、しょっちゅう「大丈夫大丈夫、気にしない気にしない」
と言っています。これは、抹茶の性格を考えての言葉掛け。
神経質な子供なので、気にしすぎるきらいがあるのです。

抹茶はおそらく、ストレスに弱いタイプでしょう。
この先、お友達や先生、そして私や主人の、ちょっとした言葉を気にし、
落ち込んでしまう事があるかと思います。
そんな時に、「大丈夫大丈夫、気にしない気にしない」と
自分で自分に暗示をかけてほしい。
お友達の輪の中に入れず、一人ぽつんと取り残されるようになっても
「大丈夫、それなら本でも読んでいよう」と切り替えて欲しい。
そのための、小さな第一歩です。

もちろん、お子さんによって、様々な言葉掛けがあると思います。
仮に、抹茶が元気有り余るタイプであったなら、時と場合により、
「大丈夫大丈夫、気にしない気にしない」ではなく
「ゆっくり慎重にいくよ。そろ~り、そろ~り」と言います。

要は、親がその子の個性を見極め、行き過ぎないようにしてあげること。
個性を潰しているわけではありません。
個性は尊重したいのです。

上手く言えないのですが、例えるなら、
「車は走るための物だが、ブレーキも必ず付いている」でしょうか。
そのブレーキのような物ですね。
いざという時、自分でブレーキがかけられる。
大事故にならないための必需品だと思っています。

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23:05 | 教育方針
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 身の回りの世話ができるということ

身の回りの世話を一人でできるということが、自立への第一歩だと思っています。

そのため、2歳の誕生日を迎える頃までは、徹頭徹尾「着脱がしやすいこと」を
重視していました。
女の子だと、レギンス(orタイツ)+スカートで組み合わせているお子さんも
多いのですが、この組み合わせを1歳の子が一人で脱ぎ着するのは至難の業です。
そのため、私は抹茶に「夏は半袖Tシャツ+半スボン、冬は長袖トレーナー+長ズボン」
という、およそ女の子らしくない格好をさせていました。
また、洋服の前後を理解しやすくさせるため、前にイラストやアップリケのついて
いるもの、後ろにポケットが付いているズボンを意識して用意しました。
こうすることで着脱が楽になるのか、1歳の抹茶でも一人で着替えていたことを
思い出します。
       
2歳の誕生日を迎える前には、ボタンかけも一人でできそうな気がしたので、
大きなボタンが4個付いている冬用のコートを買いました。
もちろん最初は時間もかかりましたが、それでも待つ。
そうすることで、ボタンに慣れさせ、少しずつ、小さなボタンが付いているブラウス
などを用意していきました。

また、3歳の誕生日を迎えた頃、一人で髪を洗わせるために長かった髪を
ばっさり切りました。
「七五三が終わったから」というのも切った理由の一つですが、保育園では
年少さんに上がると担任の先生が二人減り、子どもの数も増えるのです。
その状況で、午睡後に髪を直してもらうこと…先生のお手間を増やすことは
良くない、と思い抹茶を説得しました。
今、抹茶は「もう一度髪を伸ばしたいな」と言っているので、長い髪を自分で
「上手に」にまとめられるようになったらね、と言ってあります。
(今でも自分で結べますが、へなちょこなので)

ちなみに、3歳半を過ぎた頃、「リボン結び」に果敢に挑戦している抹茶の姿を見て、
こんなもの↓も用意しましたよ。

CIMG2347.jpg CIMG2348.jpg

モンテッソーリ関連の書籍にも、家庭で作れる、似たような教具?がありましたね。
その簡易版になるのでしょうか。
『あ、今がリボン結びをマスターする時だな』と感じた瞬間、家にある物でささっと
作っただけなので見栄えは悪いのですが、コシのある紐を使っていること、
靴箱の中に豆を大量に入れ、動かないように重くしたことが、私なりの工夫です。

今思い返してみても、この頃の抹茶には、「リボン結び」が丁度手指の発達に
合っていたのだ…と感じています。
モンテッソーリを知っている方は既にご存知だと思いますが、「見ててね」とだけいい、
動作だけをゆっくり見せると、何度も何度も真剣に挑戦していました。
そして、10分ほど集中して取り組んだのち、見事「リボン結び」ができるようになると、
本当に満足した、良い表情を見せてくれたのです。
ちなみに、3歳の夏は寝間着に甚平を着せて、思う存分「リボン結び」を堪能できるように
環境を整えました。




こうした「日常生活練習」。
モンテッソーリ教育を実践している園では、当然その教具も揃っています。
家庭でモンテを取入れていらっしゃる方は、教具を手作りされた方もいるでしょう。
しかしながら、私は面倒くさがりなので、適当~に済ませてきました。
「洋服の前見頃に刺繍を入れるのは面倒だから、最初から理解しやすいデザインを着せる」、
「ボタンつけの教具を作るのは面倒だから、ボタンのコートを買う」。
手抜きでお恥ずかしいのですが、抹茶の発達に合わせて衣類を選んできたつもりです。
私は「身の回りの世話ができる」とは、「5~6歳になっても着脱が楽なトレーナーしか着ない」
ということではなく、「その年齢、発達に合った世話ができる」ということだと思っています。
そのためには、あえて、後ろファスナーの服を着せてもいいし、紐靴を履かせてもいい。

「少し頑張れば新しいことができる」。
その姿勢というのは、何も勉強ではなく、身の回りの世話から学んでいけるのではないかと
思っています。

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14:05 | 教育方針
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 子供の自発性を優先させるということ***その2

これで最後です。
もう少し、おつきあいくださいね。

今は抹茶も少し大人になったので、こういった事は減ってきましたが、
時折この問題を思い出します。
そして、私達も子供に大して偉そうな事は言えないのだ…と、つくづく感じるのです。

私と主人はフリーで仕事をしています。
あまり時間に縛られることはないので、そもそも「時間に対する厳しさ」
というべき空気が、家庭の中で希薄です。
いつだったか、抹茶と粘土で遊んでいた時、私達の方が熱中してしまい、主人は、
「今日はピザの出前を取ってしまおう」
と言ったことがありました。
我が家では、そういったことは珍しくなく、親が偉そうな事を言う訳にはいかないのです。
(思い返すと、私の母もそういう人でした)

つまり、私達の生活、価値観が抹茶にも伝染している、と言えます。
それは、「時間の管理より、作品作りを大事にする空気」です。
「どうしてもやりたいならとことんやろう、という空気」です。
ただし、その「やりたいという気持ち」は半端な物であってはいけません。
周囲の人間に納得させるだけの熱意、迫力が必要である、と考えています。

100の家庭に100の空気があり、それは様々です。
時間管理に厳しい家庭は、その空気がきちんと子供にも伝わります。
そういった家庭では、きちんと約束事やルールが守れ、きびきびと行動できる子が育つでしょう。
それは、私も含め多くの親が望む子供で、一つの理想です。
しかし、その一方で、多くの親は相反するもの…
一つの事に熱中してほしい、とも望むのです。

私は、相反するこの二点を、一人の子供に強く望むのは矛盾しているような気がしています。
人間はそれほど完璧ではありません。
言葉は悪いのですが、どこかで諦めるのも肝要なのかな、と思うのです。

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06:54 | 教育方針
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